ドイツでは毎年ブックフェアが開かれている。
世界最大のブックフェアである秋のフランクフルト・ブックフェ
ア(ブッフメッセ)と、春に開かれるライプツィッヒ・ブックフェ
アだ。
震災から一週間後の2011年3月18日、ライプツィッヒ・ブックフェアに
行ってきた。
ライプツィッヒ・ブックフェアは日本人にあまり知られていない
。フランクフルトでは出版版権の売買が目玉であり、世界各国から
出版社や版権エイジェンシーが大挙してくる。いわば同業社向けの
展示会である。一方でライプツィッヒ・ブックフェアは訪問客のほ
ぼ100%がドイツ人という「読者向け展示会」である。世界に向け
たブックフェア、国内に向けたブックフェアという大きな違いがあ
る。
会場内では随所で朗読会が開かれ、その他読者を楽しませてくれ
る展示や商店が数多く軒を連ねている。
ライプツィッヒは古くから出版社や大学があり、また音楽の都と
しても栄える文化都市だ。ときには「小パリ」とも呼ばれる小さな
街である。岩波文庫の原型となった「レクラム文庫」を出版する老
舗はライプツィッヒにある。ライプツィッヒ大学はかつてはゲーテ
が通っており、ライプツィッヒ時代の彼の体験は『ファウスト』と
して描かれている。また、この大学はニーチェの母校でもある。さ
らに、大バッハが晩年をカントル(教会指揮者)として過ごしたト
ーマス教会や、専属の少年ソプラノ合唱団「トマナーコーア」、メ
ンデルスゾーンが初代主任指揮者を務めたコンサートホールのゲヴ
ァントハウス、東西ドイツ統一を導いた市民デモの火種となったニ
コライ教会など、音楽と文学を中心に、市民の文化的自意識が高い
街である。
◎聖トーマス教会に鎮座する大バッハ像
◎市街中心にある旧市庁舎
ライプツィッヒは旧東ドイツの街なので日本では長らく知名度が低
かったが、いまでは上記のような盛りだくさんの内容から、各国
からの観光客が途絶えない。東西ドイツ統一後には真っ先に都市開
発の手が入り、街の周囲にはビルが建造され、郊外には大型ショッ
ピングモールや見本市会場などが次々に出現した。
ライプツィッヒは、寄宿していた友人宅のあるナウムブルクから
アウトバーンで1時間弱の距離にある。友人の両親のコンラート・
シュミット、ブリュンヒルデ・シュミット夫妻と孫のエリアス君の
3人に車で送ってもらった。
20年前に友人宅に寄宿したときにもライプツィッヒまで車でコン
ラートに送ってもらった。このときはライプツィッヒ空港からモス
クワ経由で東京に帰った。20年前にも孫のエリアス君が同伴だった
が、そのとき彼は2歳だった。月日がたつのは早い。
友人のマティアスとその父親のコンラートは2006年に来日し、そ
れ以来の再会だった。来日時彼らは新越谷駅前のビジネスホテルに
泊まり、近所の健康温泉や駅前の和民(健康温泉と和民は彼らの評
価が高かった)に入り浸ったり、地元の小学校や神社を訪問したり
と、越谷ライフをともに過ごした。彼らとは思い出が多い。
アウトバーンを下りて市街地に入ると、路面の線路やアスファル
トのつぎはぎにハンドルを取られながら、車はライプツィッヒ駅へ
の進路を見失った。行きつ戻りつで、ようやく駅に着き、別れた。
9日間のナウムブルクではシュミット家にはお世話になりっぱなし
だった。
ライプツィッヒではアパートに宿泊した。見た目は団地風なのだ
が、コンシェルジェがいてカフェーがあり、住民同士でカーシェア
リングできたりという、「集合住宅なのに近所づきあいができる」
ことをコンセプトとしたアパートだ。ブックフェアの季節はライプ
ツィッヒの宿泊施設の金額が一気に跳ね上がるので、安いところが
あると、ライプツィッヒの友人が手配してくれた。
翌朝、駅に向かった。駅で1.3ユーロのコーヒーを飲み、ブック
フェアの会場に行くためにランチ用のパンを買い込む。
路面電車を待つものの猛烈な混み具合で、4車両は見送った。路
面電車のドアが開く位置がまちまちなので、どこで乗ってよいのか
わからず右往左往した。
◎街を行き来するレトロな路面電車
会場に入ったのは10:30だった。
激しい混み具合にここでも驚いた。
会場では各ブースで朗読会が行われ、参加者は熱心に耳を傾けて
いる。
◎ブックフェア会場の入り口。大勢が詰めかけている
電子ブックはほとんど見られず、オーディオブックの展示が圧倒
的に多かった。なかった。
◎オーディオブックの展示が目につく
テレビ局のブースが各所で大きく陣取っていた。各々でアナウン
サーを招き、作家や評論家を迎えて丁寧に本の紹介をしている。ド
イツはグーテンベルクの伝統を受け継ぐ「本の国」なのだと感心し
た。テレビでももちろん、番組のプログラムはブックフェアばかり
だ(同じぐらいに日本の震災の話題で持ちきりだ)。
◎テレビ局が主催する座談会ブース
路面電車の車内でも多数いたが、コスプレの男女の数がすごかっ
た。まるで秋葉原にいるようだった。アメリカかぶれという言葉が
あったが、これは「日本かぶれ」なのだろうか。日本文化の浸透ぶ
りには目を見張るものがあった。
◎会場の随所でたむろするコスプレ少女たち
◎ここはアニメのブース
会場に入りどこから見ようかと地図を物色していたら、「日本カ
フェ」(Japanisches Kafee)というのがあったので、そこを目指
す。
ホールが5つあり、そのうちの1ホールの1/4がアニメ漫画同人誌
のコーナーになっていた。その入り口にJapanisches Kafeeがあり
、のぞいてみた。すると、昨日ライプツィッヒの友人のママからい
ただいた新聞の切り抜きにあった「協心」という書道を掲げて震災
の義援金を募っている日本人女性とドイツ人男性の活動家夫婦がブ
ースを構えていた。
◎「日本カフェ」で日本の震災の義援金を集める活動家夫婦と私
次に漫画同人誌ブースを回る。コスプレの男女が群れとなり、各
人は漫画の古本やアニメのグッズを物色している。そして各ブース
では日本への義援金の募金箱が置かれている。
◎同人誌のフリマ。DOJINSHIがすでにドイツの外来語になっている
◎日本の国旗を掲げ、ここでも震災の義援金を募っている
◎ここでも日本語が登場
テーブルでは大勢の少年少女がトレカを楽しそうにやっている。
コスプレの男女はおのおの好きなポーズをとり、参加者に写真を
撮られている。
ショップのブースでは、フィギュアが山のように積まれている。
◎フィギュア屋さん。「ミニ秋葉」の様相を呈している
◎店員さんもコスプレ
◎コスプレイヤーは会場内でも人気者
◎トレカに興じる子供たちの姿は万国共通
それらを見て、非常に感慨深いものがあった。彼らは日本のこと
をどこまでわかっているのだろう。アニメやコスプレが日本発祥の
文化であることを知らずにやっている少年少女も多かろう、しかし
、彼らが日本人の創ったコンテンツを愛していることは事実だ。言
語や宗教、国境、生活習慣を超えて浸透していくメディアやコンテ
ンツの力は計り知れない。戦争と平和、不幸と幸福、すべてはコン
テンツで作り上げることができるのではないかという、コンテンツ
が秘める強い力を体感した。








