プロレゴ-メナ.jpg強烈に素晴らしい書物と巡り会った。

『プロレゴーメナ』は、カントが自ら語っているが、代表作『純粋理性批判』の手引き書のようなものである。
200ページちょっとで読め、かつ、内容密度が大変に濃く、読み応えがある。

形而上学とは、自然を超越したもの、自然の上にあるメタなものを追求する学問である。
この形而上学を「非経験(ア・プリオリ)の世界」と「経験の世界」という2つの世界に分離して解釈したのが、カントの最大の発見であり、発想の転換である。
これが俗に言う、カントの「純粋理性」である。
ア・プリオリの世界とは端的に言うと、「時間」と「空間」の世界。
時間と空間は、人間が個人的な学習や経験を経ることなく知り得るものである。
コップが高いところから落ちれば割れるし、時間が経てば草花は成長し枯れる。
アプリオリな認識とは、こうした共通の認識である。

このように、世界には個人的な学習や経験を超越した(ア・プリオリな)事物が存在する。
人間の経験と共に、その経験を超越したア・プリオリなものを、形而上学の範疇に入れ、形而上学を再構築し、理解しましょう、というのがカント理論の骨格。
カント以前は、形而上学とは個人的な経験や空想が唯一の判断基準で、ともすると形而上学は学問を離れオカルト的な領域にまで手足を伸ばしていた。
カントによると、「『純粋理性批判』が普通の学校形而上学に対する関係は、科学が錬金術に対する関係、あるいは天文学が予言をこととする占星術に対する関係とまさしく同じである。」という。

カントの純粋理性に基づいた形而上学の枠組みは、以下の構造になっている。

===
経験の伴わない(アプリオリな)純粋直観の世界
 ↓
感覚(感官)の世界
 ↓
経験的直観の世界
 ↓
現実的印象の世界
 ↓
経験の世界
 ↓
悟性(理解)の世界
 ↓
統合された経験の世界
 ↓
真理
===

すべての出発点を、感覚や感性を超越したア・プリオリな純粋直観の世界とすることで、人間の恣意や性癖、空想といった、理性を離れた世界のみで事物を把握するという事態が回避された。これが、カント哲学のもたらした脱構築であり、最大のパラダイムシフトである。

ヘーゲルやフッサールなどの、カント以降の大哲学者はほぼ全員影響を受けているはず。
個人的には、身体(時間)と経験(空間)という認識の方法は、フロイトがかなり影響を受けていると感じ、世界人類を視野に入れたコスモポリタンな思想は、マルクスが影響を受けていることを強く感じる。

上記の、『プロレゴーメナ』でカントは純粋理性の世界を教育的に解説した。
そして次に、『人倫の形而上学の基礎づけ』(中公新書に併載されている)で、カント理論をいかに現実社会に適用するのかを、具体例を交えて語っている。

カントの入門書として、ぜひ一読をお勧めする。

悪徳の栄え.jpg
 正編が黒、続編が赤という装幀が素晴らしい。

 マルキ・ド・サドの代表作。
 怪女ジュリエットの悪徳三昧の半生が描かれるアンチユートピア小説。
 正編では大臣に囲われる娼婦としてジュリエットが登場。
 大臣の権力の庇護下で悪徳の限りをつくす。
 大臣も、慈善や施設の破壊によるフランスの人口削減を企てる、私利私欲にとりつかれた極悪人。
 続編はイタリアとロシア、スウェーデンが舞台となり、各国遍歴悪行旅行をつくす。
 続編はおなじみの発禁となった巻。
 「露骨な性描写」が発禁の原因であるとは当時の政府の見解だが、実際にはそういったレベルではなかったのではないかと思われる。
 政治レベルの嫌悪感を政府に抱かせたのではないか。
 つまり続編はエカテリーナやローマ法王といった各国の権力者が登場し、皆さん私利私欲にとりつかれた変態である。
 「権力とは悪そのもの。権力を持つ人間は個人的欲求充足と個人的な権力の保持にしか興味がない。かつ変態」というのが、サドの権力者に対する見解。
 彼らは悪徳に満ちた人物として描き出されている。

 悪書とはまさにこのこと。
 これ以上の悪書は他にあるのだろうか。
 あったら教えてもらいたい。
 人間の発想や言動は先天的なものに加え、その環境が影響を及ぼすというが、サドの思想と作風こそまさに、革命の時代のフランスが生んだあだ花である。

 休日の昼下がり、読み終えて、ふと近所の公園に行った。
 親子はキャッチボールを楽しみ、恋人同士は弁当を食べ、車いすに乗った白髪の老人はそれを楽しそうに眺めている。
 悪徳とはなんだろう、美徳とはなんだろう、正義とはなんだろう、革命とはなんだろう、戦争とはなんだろう。
 サドの世界観と目の前に見えた平和な世界との落差にほっとしつつ、かつ、考えさせられた次第。
 澁澤龍彦の歴史的名訳。


芸能野史.jpg私が密かに私淑するのが、小沢昭一先生である。

俳優という職業を持ったご自身が自らを「芸能人」として高いところから俯瞰してみたら、大道芸人・放浪芸人が視界に入ってきて、その研究に生涯を費やしてしまった、といったのが作者のスタンス。

作者が学生時代に観た「女相撲」を山形まで訪ね、当時の「力士」と再会するくだりは、太宰治が『津軽』で養母と再会したときの感動に迫るものを感じる。

作者の深い愛と、言葉の端端から感じさせる高いインテリジェンスで迫った、『日本の放浪芸』の思想の原点である。
フィールドワークがすさまじい。

この本は、まさに名作。

eden.jpg ポーランド人の複雑なメンタリティが沈潜したSF作品。

 1959年の作品であるというのに、すでに放射能汚染にまで言及されている。

 さすがコペルニクスとキュリー夫人を排出した科学の国ポーランド。

 キュリー夫人にいたっては被爆して死んでいるぐらいだから、放射能とポーランドのゆかりは深い。この国はチェルノブイリ原発事故の被害の大きかったし。

 惑星エデンの土地がポーランドだとしたら、そこに住む異星人はポーランド人であったりナチスであったりソ連人であったりで、また惑星そのものは支配者と連携した体制そのものであって、エデンに不時着した地球人は文化人やモラリストというキャラクターに置換できる。

 レムは当時のソ連支配下にあったポーランドにおいて、SFという表現スタイルを通して作品を構築し、作品を通してポーランドの苦悩を社会に示した作品として読めた。

 『エデン』の後に、レムは『ソラリスの陽のもとに』(1961年)を書くのだが、『エデン』は『ソラリス』ほど哲学的な美意識が徹底した作品ではなく、死と戦争のイメージが漂う薄暗い作品だ。

 1959年といえばワイダ監督の『地下水道』(1956年)や『灰とダイヤモンド』(1957年)がリリースされたほんの少し後で、不安や裏切り、抵抗といった、戦争で徹底的にやられたポーランド人らの精神の傷が深く残った時代だった。

 それにしてもポーランド人の尊敬すべきは、戦争とナチスやソ連による支配で、精神や物体がとことんやられてまでも、文芸や映画といった「作品」を作り続けたところにある。70年代に「連帯」が結成されたのもポーランドだし。

 表現統制が敷かれていた当時の共産主義体制の中で、手を変え品を変え表現し続けたところが、執念というか、あまりにも立派だ。

 レムの作品を通して、ポーランド人の卓越したクリエイティビティを感じた次第だ。

ちょっと前ですが、平田オリザさんがpepperのプロジェクトにかかわれた件を東京藝術大学に取材し、記事にしました。

志賀直哉にまつわる古風な温泉にpepperとは、なかなか風流なものです。

pepperプロジェクトの背景やその未来まで、以下2本の記事にまとめました。

湯煙の町にロボットがやってきた!(1)~城崎温泉pepperプロジェクト~

湯煙の町にロボットがやってきた!(2)~城崎温泉pepperプロジェクト~

東京藝術大学の力石さんや豊岡市の職員の方々、アゴラ企画の太田さんなど、さまざまな方から情報をいただきました。
8月27日(木)にパシフィコ横浜で開催された「CEDEC 2015」でのイベントの取材記事が掲載されました。


SBクリエイティブ、技術評論社、秀和システム、翔泳社、ちくま書房、ボーンデジタルの6社から編集者が登壇しました。
出版のマネタイズから本作りにまつわるさまざまな話まで、60分間、あっという間に過ぎました。会場も盛況でした。
編集者がこうした場に出て、語ることには、意義があると肌で感じました。
またこうした機会が持てたらよいです。

参加していただいた方々に、心から感謝します!
ログやSNS、電子書籍など、書くことのできる場が増加し、同時に、「人に読ませる文章を書きたい」という人が年々増えています。その一方で、「どうすればそれを実現できるか」というノウハウがまだ行き渡っていません。
セミナー「本を書いて世の中に出よう!」では、「人に読ませる文章を書きたい」のゴールを「商業出版」に据え、本はどうやって作られるのかからはじまり、どうしたら本を書き、世の中に出すことができるのか。そしてどうしたら、本と共に書き手が世の中に出ていけるのかという、その方法を、以下の3部構成でお話ししました。

・第1部 本はどうやってできるか? ~企画から印刷、製本まで~
・第2部 商業出版の舞台裏 ~本を書き、世に出すには?~
・第3部 本は、人と社会を進化させる ~書いた本が世の中に出ていく~

本を書くことは、ブログやSNSで文章を発信することと比べて作業工程がはるかに多く、また、全体にかかる手間も非常に多いです。逆から言えば、ブログやSNSなど電子メディアの登場によって、「書く」に対するハードルが極端に下がった、ともいえます。
また、「書く」に対するハードルが極端に下がった時代だからこそ、ブログやSNSなどから一歩踏み出て、商業出版物としての本を書くことは、書き手と読み手にとっての価値が相対的に高くなってきている、ともえいます。そうした本の価値とともに、ネットや全国の書店を通した流通網から、書き手は自己ブランドを発信でき、読み手はプロの制作者による編集や校正、レイアウト、デザインの入った質の高いコンテンツを手にできるのです。

手軽さと速効性の意味ではブログやSNSなどの電子メディアに勝るものはありません。一方で、情報の信頼性と深みにおいては、商業出版物である「本」の優位性は圧倒的です。
その意味で私は、「書きたい」の意欲が高い人には、商業出版をお勧めしています。

商業出版は、書き手の「書きたい」の欲求と、読者の「読みたい」の欲求の交差により、はじめて成立します。その双方の交点を作るのが、編集者です。そうしたきっかけを編集者として世の中に与えることができたらという思いで、私はこのセミナーを企画、実施しました。

前置きが長くなりましたが、「書く」のスキルを上げ、「書く」をより掘り下げたい人に、このセミナーの録画をぜひご覧いただきたいです。
そして一人でも多くの書き手に商業出版の世界へと仲間入りしていただき、力のあるコンテンツを世に投げかけていただくことを、願ってやみません。
セミナーの録画は以下から閲覧できます。

・はじめに http://youtu.be/bkoygdVtSFQ

ご閲覧いただき、その意見や感想などをいただけたら光栄です。

●「哲学カフェ」に行ってきました

いささか旧聞にはなるが、2014年11月28日(金)、青木達郎さん、早川さやかさん主催の「哲学カフェ」に参加してきた。
ファシリテーターは哲学者の寺田俊郎さん。
http://ameblo.jp/studiopocket/entry-11950918555.html

お題は「文明は発展すべきか?」。テーマがあまりにも巨大。
ちょうどこの時期、幕末明治維新を生きた福沢諭吉さんの著作を読んでおり、そんなときに文明について考えさせられ、気づきを得たので、ここに記録しておく。

まず、文明とはなにか、である。
「文明」で連想される言葉として、「文明開化」や「文明の利器」が思い浮かぶ。これらは「古いものに対する新しさ」という意味がある。また、外への広がりというイメージも含まれる。同時に、文明外の古いものに対する否定の意味もある。外への広がりと古いものの否定は、ある段階を超えると、他民族や他国家への侵略となる。これは、文明の悪い面である。文明のよい面はもちろん、科学が発展して生活の不自由や生命の危機が減らされることだ。
「文明とはなんだろう」の問いに、それは科学ではないか、経済ではないか、アートではないか、という意見が出た。人間は本来、自分は何者であるのかという疑問と、なにかしらを生みたいという欲求を持つ生き物だ。なにかしらを生みたいという欲求はアートを生み、人間が文字を手に入れることで疑問の探求は科学を生み、文字はアートを高度化させた。さらに人間が火を手に入れたことで、文字と火は融合し、科学が急速に発展した。

有史以来、人間は自分らが幸せになるように、文明を発展させ続けてきた。「文明は発展するべきか?」という問いへの答えとして、「文明はすでに発展している」し「文明はそもそも発展するもの」である。
発展とは本来よい言葉なのだが、「文明が悪く発展」している可能性もある。たとえば資本主義経済の危機による貧富の格差や世界各国での戦争、医療への過信による治療や判断のミス、原発事故、思いやりや優しさという人間本来が持つべき心の欠如。どれもこれも、文明が悪く発展した結果といえる。しかし言い換えれば、科学過信であり、人間の感受性の欠如でもある。つまり文明の発展とは人間の豊かな未来を求めて促進され続けるものだが、一方で侵略や破壊という人間を貧困にさせる要素も兼ね備えている。だからこそ「文明は"よく"発展するべき」である。

文明の二面性とはこんにちはじまったものではなく、何千年も前にソクラテスが言った、「無知の知」にはじまる。「オレはなんでも知っている」という思考は一種の科学万能主義であり、この考え方はイギリス産業革命を境に一気に社会性を帯びてきた。ワットは蒸気機関を発明し、産業革命の基盤を築きあげ、人間は自分の外部に「筋肉の延長」を作ることに成功した。これにより人間の持つ労働力の限りない拡張がはじまった。そして原子力の発見により筋肉の延長が最大化されたところで、各地で原発事故が起こった。筋肉の延長としての科学が、ワットの蒸気機関にはじまって原発の蒸気機関に終わるというのは、なにか皮肉めいたものがある。これで科学の発展が停止するということはない。しかし、明らかに、人間の科学に対する態度は変わらざるをえない。

そしてもう一つの科学的な革命は、第二次世界大戦後にはじまった「情報革命」である。軍事戦略に利用されてきたコンピュータの技術が民間産業に応用されるようになり、そして1990年代のパソコンブームとインターネットの普及により、第二次世界大戦から50年足らずの年月で、人間を取り巻く情報の世界が一気に塗り変わってしまった。いまや数万円で手に入るノートパソコンが、少し前のスーパーコンピュータの性能を持つ。しかも、おのおのがネットワークで接続されている。一台一台のパソコンが脳細胞だとすれば、ネットワークは大脳である。ここではっきりと言えることは、現時点で人間は、自分の外部に「頭脳の延長」を作ることに成功し、人間の持つ「考える」という行為の限りない拡張に成功しつつある、という点。

文明とは、人間にとってよく発展するべきである。その意味で、誰もが予測しなかった福島第二原発での原発事故は、科学過信と人間の感受性の欠如とともに、文明が悪く発展した結果である。事故とはいうが、人間や国土にとって取り返しのつかない事態を引き起こした。もはやこれは事故というレベルではない。他国を巻き込んだ地球規模の惨事だ。

いま最も気になるのは、この、自分の外部に作った「筋肉の延長」が、すべてはコントロール可能という科学過信と人間の感受性の欠如により取り返しのつかない事態を巻き起こしたことと同様、自分の外部の「頭脳の延長」も、取り返しのつかないことを巻き起こすのではないかという危機である。

パソコンやスマートフォンがネットワークで常時連結されることで、人間どうしがあたかも思いやり合いながらつながっているという感情的錯覚にとらわれる。検索エンジンから取り出した文章は、あたかも自分が書いた美しい文章や思想であるという思考的錯覚にとらわれる。パソコンやスマートフォン、検索エンジンは生活に欠かせないすばらしい道具だ。しかし、科学過信と人間の感受性の欠如により、上記のような錯覚は起こりうる。そしてこの状況を放置すると、錯覚は「知覚」にすり替わってしまう。知覚とは本来人間が「自由」に持っているものだ。しかしもはや、錯覚が起こることで、人間は「頭脳の延長」という人間が作り上げた道具に支配されることになる。これでは本末転倒である。本末転倒という意味で、原発事故とまったく同じだ。

文明の急速度な発展が止まることのないいまの時代、情報を通した感情的錯覚や思考的錯覚に対する、各人の態度が厳しく問われる。それはいったいどんな態度か。2つある。一つは、人間の言葉や表情、身体表現を通した生のコミュニケーションを甘く見ないこと。生のコミュニケーションの持つ情報密度は、計り知れなく高い。そしてもう一つは、その言葉はその人の身体から発したものなのか、あるいは検索エンジンから取り出されたものなのかを判断する感受性を磨くこと。これらのためには、共に、人の心を受容する感受性を磨くこと。

人にはそれが必ずできる。

レベルは異なるが、情報という意味では、1970年代のテレビがこれに近い。テレビばかり見ていると子どもの学力と判断力が低下するといわれ、一日に見る時間を制限したり、録画で選択して見るという、人とテレビというメディアとのつきあい方が磨かれてきた。また、テレビの閃光を目にして倒れてしまう子どもも出てきて、表現に関するモラルもメディア側には芽生えてきた。

「頭脳の延長」を実現したいまの社会でも、科学と折り合いをつけながら人間は進化できると信じている。

この辺については、今年3月に来日したノーム・チョムスキー教授が語った文明論に多くの答が含まれている。興味のある方は参考にしていただきたい。

http://blog.sbcr.jp/taiwa/2014/11/post-31.html

堅苦しい文章が長々と続いてしまったが、これはあくまでも三津田個人の見解で、この集まりからインスパイアを得たことだけは間違いない。つまり、得る印象は各人各様。そして、自由。「哲学カフェ」は、とてもラフな形で創造性を拓く楽しい集まり。

このような集まりが、これからも日本各地で自然発生的に増えてくることは間違いない。
コミュニティ社会とはこのこと。
3年後の2018年には、もっともっと加速して、世の中がコミュニティ社会化しているだろう。
どんな社会になっているのだろうか。この目でそれを見ることが、非常に楽しみだ。
2014年11月某日、北海道の余市に行ってきた。
余市はニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝を描いたNHKドラマ『マッサン』のロケ地ということで駅前にある工場は見学者でたくさんだったが、私が体験したかったのは文豪幸田露伴の足跡だった。

◎観光客で賑わうニッカウヰスキー北海道工場・余市蒸留所
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露伴は文筆業に移る前の2年間だけ会社勤めをしており、その勤務地が余市だった。小樽からディーゼルカーで西に30分ほど行くと余市はある。
この「よいち」は、東京人は平家物語の那須与一のこともあってか、「よ」にアクセントを置いて発音してしまうが、正しくは「ち」にアクセントを置く。
駅から降りて観光案内所に行くと、係の女性が露伴の石碑がある場所の地図をくれた。「露伴がこの街で働いていたようですが、職場の建物など跡地はないのでしょうか?」と聞くと、「さぁ、わかりませんねえ」と笑顔で返答。そのまま地図を持って石碑のある西の海岸に向かい、途中の観光案内所でも尋ねる。文学青年風の丸めがねをかけた若者が出てきたので尋ねると、石碑の場所はわかるが露伴の働いていた場所まではわからない、という。100年以上前の話だから、さすがに情報は風化しているのだろう。そう思いながら、古そうな建物を探した。そこに老人がいれば、もしかしたらなにか知っているかもしれない。築40年以上に見える床屋があったので、そこで尋ねた。70代のおじさんが出てきたが、「ロハンって誰? 明治の小説家、知りません」と、ここでも同様の返答。地元での知名度は非常に低い。もうこうなったら総当たりと、さらに西に向かいお寺を訪ねる。お寺なら昔のことを知った人はいるだろうと。しかし不在。お寺の入り口に背中の曲がったおばあさんがいたので聞いてみたが、お耳が遠いのかそもそも知らないのか、ロハンのロの字すらまったくわからない様子。あまりの知名度の低さに、露伴って、余市で嫌われることでもしたのかなぁ、とさえ思った。

◎余市の西にそびえるシリパ岬。先端が盛り上がった独特の形
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余市駅から海に出て西に歩くこと数キロ、海岸の向こうのシリパ岬を背に露伴の記念碑が堂々と建っていた。石碑のとなりの看板を読むとこうある。「句碑は、露伴が勤務した余市電信分局近くの北海道立中央水産試験場前庭に、余市郷土研究会が建立」と。なんだ、ここか。それにしても地元の住民は、石碑の存在こそかろうじて知れど、石碑の内容まで読んでいなかったわけだ。

◎幸田露伴の文学碑。シリパ岬で取り出された石で建造
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◎石碑の隣に掲げられた看板。ところで、ここに「金品」を置いていく人がいるのだろうか?
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露伴が過ごした明治20年前後の余市は蝦夷開拓のために本州から多くの人が来ていた。江戸時代には松前藩がアイヌ人との商業を行っていたのもこの町である。
いまでも「旧下ヨイチ運上屋」として、和人とアイヌ人との物流の場が復元され観光客に開放されている。かつて運上屋は北海道の各地に存在していたが、現在遺構として残されているのはここのみである。

◎旧下ヨイチ運上屋。古風な外観は、遠くからも目につく
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かつてはニシン漁に沸き、春になると海岸はニシンで埋め尽くされ、モイレ山から海岸を見渡すと、海はニシンの産卵で真っ白く見えたという。大正時代をピークにニシン漁は賑わい、海岸には数々の漁場やニシンで財をなした漁師のニシン御殿が建った。

◎福原漁場の蔵。莫大な富を蓄えた過去を偲ばせる
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◎漁師が暖を取る「漁夫溜まり」。福原漁場にて
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◎漁夫溜まりの横の床板を外すとそのまま「食堂」になる合理的な構造。福原漁場にて
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◎前面に見える木組みはニシン干し場。福原漁場にて
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ニシンの漁場には出稼ぎの漁師たちが暮らす宿舎と、主人の住居に加え、ニシンを加工する工場も備えていた。きれいなニシンはそのまま食べたり身欠きニシンにして出荷し、型の崩れたニシンは絞ってニシン粕として肥料にする。絞り汁の上澄みは魚油になり、燃料にする。身欠きニシンを作る課程で出た骨やえらも捨てずに肥料にする。隅から隅まで、どこも捨てずにニシンは活用された。
昭和に入って突然、余市からニシンが姿を消した。乱獲が原因か、生態系の変化か、原因が定かではない。日本人なら誰もが知る『ソーラン節』は余市が発祥で、過酷なニシン漁の仕事を活気づけるために歌われた民謡である。
ニシン粕を作る際には、絞ったニシンを干し、発酵させるという工程もある。御殿の周辺には身欠きニシンやニシン粕が魚の臭いを漂わせていた。

◎ニシンを干す様子
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◎浜辺でニシンを細かく解体する女性たち
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漁場からはソーラン節が聞こえ、発酵するニシン粕の臭いが漂う。しかも冬は想像を絶して寒い。環境の変化に弱い東京人露伴にこれは耐え難かったはずだ。こうした状況が、10代の若き露伴の精神に強烈な影響を与えたのは想像に難くない。実際、余市での印象を思わせるような記述や小説は残されているものの、余市に関して具体的に書き残した日記や記述、当時の手紙すら、岩波書店版の露伴全集にはひとつも収録されていない。露伴は基本、自分のことを多く語らない人物であるが、このような、語られないところにこそ、真実が隠されているはずである。

明治20年8月、20歳の誕生日を迎えたばかりの露伴は突如余市を去り、東京に戻ることを思い立つ。その様子は『突貫紀行』に描かれている。これは露伴全集でも青空文庫でも読める。

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身には疾(やまい)あり、胸には愁(うれい)あり、悪因縁(あくいんねん)は逐(お)えども去らず、未来に楽しき到着点(とうちゃくてん)の認めらるるなく、目前に痛き刺激物(しげきぶつ)あり、慾(よく)あれども銭なく、望みあれども縁(えん)遠し、よし突貫してこの逆境を出(い)でむと決したり。五六枚の衣を売り、一行李(こうり)の書を典し、我を愛する人二三にのみ別(わかれ)をつげて忽然(こつぜん)出発す。時まさに明治二十年八月二十五日午前九時なり。桃内(ももない)を過ぐる頃(ころ)、馬上にて、

きていたるものまで脱(ぬ)いで売りはてぬ
   いで試みむはだか道中
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まるで逃げでもするように、数人にだけ別れを告げ余市を去る。町を去った理由までは具体的に記されていないが、「身には疾あり、胸には愁あり」「未来に楽しき到着点の認めらるるなく」とあるぐらいだから、心身ともにかなりまいり、立ちゆかない状況にあった露伴の姿が目に浮かぶ。
青森七戸の宿での記述にはこうある。

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とある家に入りて昼餉(ひるげ)たべけるに羹(あつもの)の内に蕈(きのこ)あり。椎茸(しいたけ)に似て香(かおり)なく色薄し。されど味のわろからぬまま喰(く)い尽(つく)しけるに、半里ほど歩むとやがて腹痛むこと大方ならず、涙(なみだ)を浮(うか)べて道ばたの草を蓐(しとね)にすれど、路上坐禅(ざぜん)を学ぶにもあらず、かえって跋提河(ばだいが)の釈迦(しゃか)にちかし。一時(ひととき)ばかりにして人より宝丹(ほうたん)を貰(もら)い受けて心地ようやくたしかになりぬ。おそろしくして駄洒落(だじゃれ)もなく七戸(しちのへ)に腰折(こしお)れてやどりけるに、行燈(あんどう)の油は山中なるに魚油にやあらむ臭(くさ)かりける。ことさら雨ふりいでて、秋の夜の旅のあわれもいやまさりければ、

さらぬだに物思う秋の夜を長み
   いねがてに聞く雨の音かな
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山中の宿で露伴の嗅覚に訴えたものがランプから漂う魚油の臭いだったとは、「まだ余市の近くか」と、まるで余市が追いかけてくるかのような印象だったのだろうか。それとも、どこか後ろ髪を引かれる趣すらあったのだろうか。
プルーストの小説にもあるように、嗅覚は強烈に「過去」を思い起こさせる。医学的にも嗅覚は触覚に比して6倍の速度で情報を脳に伝達するという。魚油の臭いがニシンを通し、余市を想起させたに違いあるまい。

露伴の作品には旅や遍歴を扱ったものが多い。彼を流行作家にのし上げた小説『風流仏』は若い彫刻家の恋と心身の遍歴の物語。『観画談』は旅人が山小屋で遭遇する幻想的な日本画の物語。『いさなとり』は、主人公の若者が東京から長崎までさまざまな職業遍歴をしながら鯨漁師として成長する長編小説。ちなみにこの直後、代表作『五重塔』が発表された。

露伴の名作と呼ばれる作品の中には、少なからず旅や遍歴のモチーフが埋め込まれている。余市以降の体験、『突貫紀行』で描かれているような心身の遍歴の物語こそが、初期露伴作品のベースをなしている。余市での体験にまでさかのぼれば、帰京直後にアイヌ人を題材にした長編小説『雪紛々』を発表している。余市というアイヌ人との接触が濃厚な土地で青年時代の2年間を過ごした露伴に、言葉も生活習慣も和人とまったく異なった彼らの存在は、強烈な好奇心を与えたに違いない。

◎大正時代の余市の写真。最前列にはアイヌの人たちが並ぶ。和人とアイヌ人が共に暮らした当時の町の雰囲気が想像できる。余市水産博物館にて
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◎シャチをかたどったアイヌ人の神具。余市水産博物館にて
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◎鮭皮でできた靴。余市水産博物館にて
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露伴は『水滸伝』やモンゴルを舞台にした戯曲など、大陸派生の作品を膨大な数発表しているが、ここにもまた、余市での、言葉も生活習慣も違った人たちとの体験が基盤にあることが想像できる。

露伴は生粋の東京人で、仕事でたまたま北海道に赴任してきただけだが、いろいろな意味で、不安と好奇心が渦巻く2年間だった。好奇心の意味では蝦夷という土地とアイヌという異人種との接近。違和感という意味では東京にはありえない冬の厳しさとニシンの臭い。前者は作家の大陸的な思想を生み、後者は作家の徹底した風流人としての態度を生んだ。このように露伴の感受性が最高度に高い青春時代、余市の2年間は、まぎれもなく彼の人間形成に寄与している。

余市で一念発起して東京で大成した明治の文豪幸田露伴。余市に根を張り事業を大成させたマッサン。余市に生まれ人々に夢と希望を与えた宇宙飛行士の毛利衛さん。この小さな町に、歴史に名を残す人物が何人もいるのは、ただの偶然ではないはずだ。気候や歴史的背景に、人間形成に寄与するなんらかの要因がきっとある。実際に余市に足を運び、町を文豪露伴の青春と重ね合わせ、土地と人の書かれざる深い接点を見出した印象である。

small-●読みました:『意識と本質』(井筒俊彦 著、岩波文庫).jpg

日本人の著した啓蒙書で、ここ20年ほどで最も衝撃を受けた作品。

これは、「本を持ち、街に出よう」活動の一環としてお手伝い・参加した読書会で取り上げられたもの。

意識と本質の書名通り、真摯かつ情熱的に作者がそのテーマにアプローチしていく名著だ。

この作品が題材となったきっかけは、柄谷行人とカントをテーマにした1月の読書会で、「いつか西洋と東洋を横断的にまたぐ思想を探索してみたいですね」と発言したところ、すかさずあがった書名がこの意識と本質だった。


この本のテーマは書名のごとくで、非常に明確なフレームワークが冒頭数十ページで示されている。一つの柱が精神の形而上学で、もう一つの柱が宗教学。前者では本質を捉えようとする意識と言葉の断絶を「分節化」というキーワードで解き明かし、後者ではユダヤ教・キリスト教・イスラム教という、旧約聖書派生の宗教と、ヒンズー教・仏教・禅・儒教という東洋発生の宗教の相違点と一致点を、「意識」のモデル化を通して解き明かそうとする。


「分節化」とはつまり、意識を言語化する行為。元々言葉のなかった世界の事象に言葉が与えられることにより、分節化ははじまる。たとえば、日本一高い山という意識は言葉のない時代からあったが、ある時点から「富士山」という言葉が生まれた。しかし日本一高い山という明確な意識がある一方で、「富士山」という言葉はあの山のどこからどこまでが対応するのかという疑問も生じる。それが、分節化の限界である。人体にしてもそうで、「首」や「手のひら」という言葉があるにもかかわらず。どこからどこまでが首なのか、どこからどこまでか手のひらなのかは、漠然とした共通認識しかない。


作者はそうした言語による分節化の限界を示しつつ、分節化の底に横たわる本質を捉えようとする「意識」に光を当てる。意識把握の筆頭に、作者の独壇場であるイスラム教を取り上げる。イスラム教の思想には事象把握の方法が2種類あり、一つは対象そのものを把握することと、もう一つは対象そのものの普遍的な性質を把握すること。東洋発生の宗教にも、同じく、事象そのものの把握と、事象を構成する元素の把握という2つのアプローチがある。これらを、フランスの詩人マラルメとドイツの詩人リルケの作風の対比において説明する。マラルメの詩が表層的な描写を通して表層を超えた次元の印象を読者に与えるのに対し、リルケの詩は心の動きそのもの、心の底から湧き上がった感情をそのまま言葉に投影する。つまり意識には、表層意識と深層意識があり、双方の意識を通して人間は本質の把握を試みる。

表層意識と深層意識の双方の取り扱いについて、作者は「禅」に注目する。禅は宗派によりさまざまな解釈があり、それぞれで考え方やアクションが微妙に異なっている。また、禅以前にも、中国天台宗の教典ではすでに禅の原型の考え方やアクションが明確に示され最澄によりそれが輸入されている。

禅とは、一言で言うと、言葉により分節化された意識の世界を非分節化し、新たな分節を再構築する考え方およびアクションである。それを実現するためのアクションが、坐禅である。ゆえに坐禅は言葉を好まない。言葉をいったん解体するために、ひたすら黙って座る。只管打坐とはこのこと。それを繰り返すことで、言葉により分節化された意識の世界を非分節化し、言葉によって構築された世界の外へと出る。


その禅をさらに拡張させたものが、老荘思想に生まれた静坐である。人間にはある意識とある意識が切り替わる間に無意識の時間が生じる。それを「未然」と呼ぶ。修練を通して意識のコントロールができるようになると未然の占める時間の割合が増え、その間に意識は深層心理の原点(著者のいう「意識のゼロポイント」)にまで下降する。こうした静坐といったアクションにより求められるものを「窮理」という。本質すなわち「理」を窮める行為である。


坐禅と静坐との共通項として、本質を掴むために深層意識(分節化されていない世界)と表層意識(分節化された世界)の双方をダイナミックに往来し、双方は再帰的、という点があげられる。そして深層意識と表層意識の間には、意識を分節化(言語化)するタネ(著者のいう「言語アラヤ識」)が存在する。ユングのイマージュのモデルにこれを当てはめると、深層意識と表層意識の間に、下から順に原型(アーキタイプ)とイマージュがあり、この原型に同階層に意識を分節化するタネ(「言語アラヤ識」)が控える。言い換えると、ユング説によれば、イマージュもまた、意識の言語化の結果、である。


にまとめたのは本書の根幹のみで、その他ユダヤ教のカバラやセフィーロート、密教など、東西の宗教を横断したダイナミックな論旨展開となっている。

読んでいてふと思ったのは、意識と本質についてこんなに深刻に考え込んで、そして結論らしい結論も得られず、一体なにが目的なのだろうか、と。そうして自問を続けたどり着いたのは、自分の頭で意識と本質に迫ることが、まさに、自己認識のはじまりである、ということ。自分はどのような心を持って、自分は何者なのかという、自己認識である。そうした自問自答を通し、人は生きる意義や目的、幸福にたどり着くことができるのではないだろうか。


動物は、直観することはできる。だが動物のたましいは、たましいを、つまり自己自身を対象にしているのではなくて、外的なものを対象にしている」というヘーゲルの言葉を思い出した。人間は考えなくても生きていける。しかし、考えることにより世界に対して新しい視界が開ける。そして、より人間的に生きていくことができる。言葉でそれを促すのが啓蒙書の重要な役割だ。その意味で、本書は第一級の啓蒙書である。日本人の著した啓蒙書で、ここ20年ほどで最も衝撃を受けた作品と、冒頭で書いた理由はここにある。この本はきっと、2年後、5年後、10年後に読み返しても、そのときそのときで新しい印象を与えるに違いない。そうした深みと広さのある、素晴らしい作品だった。